君は『赤めだか』を読んだか
新春にふさわしく(?)今日は「初笑い」の話題でいきましょう。
暮れに読んだ『赤めだか』(著・立川談春、扶桑社刊)が素晴らしく面白かったので、ぜひとも紹介しておきたい。
著者は、立川談志師匠の弟子である噺家さん。84年、17歳で高校を中退して立川談志に弟子入りし、88年には二ツ目、97年には真打ち昇進を果たした。昇進試験の厳しさで知られる立川流において、いたって順調に出世街道をひた走って来たかのように見える談春氏だが、あっちにぶつかりこっちにぶつかり・・・の修行時代。
弟子入りの時点からして誤算のスタート。親の反対を押し切って弟子になったものの「俺は内弟子はとらない。何故なら他人が俺の生活にかかわってくるのが嫌だからだ」とケンモホロロの言われ方をされ、住み込みの新聞配達をしながら師匠のもとへ通ったという。
「前座の間はな、どうやったら俺が喜ぶか、それだけを考えてろ。患うほど、気を遣え。お前は俺に惚れて落語家になったんだろう。本気で惚れている相手なら死ぬ気で尽くせ。サシで付き合って相手を喜ばせられないような奴が何百人という客を満足させられるわけがねェだろう」
という師匠に、パニックになるほど大量の用事を言いつけられても、帰ってきた師匠が笑い、弟子たちみんなで笑う一瞬のために目の色を変えて駆けずり回ったという修行時代。金魚に餌の麩をやりすぎて溺れさせそうになったり、庭木に殺虫剤をまいて枯らしてしまったり・・・。弟子たちの必死さが伝わってくる抱腹絶倒のエピソードの数々は、とにかく笑える。中には本当にパニックを起こして去って行った弟子もいたというし、著者自身、気が利かないからと築地の魚河岸に一年も修行に出されたこともあったという。
そんな修行を満期務め上げ、揚々と戻ったら、魚河岸修行を断り、クビも断ったという新弟子・志らくさんに引き合わされた著者。あっという間に頭角を現し、筋がいいと評判が立ち、ものすごいスピードで落語を覚えていったという弟弟子に対する口には出せないめらめらとした嫉妬心・・・。
そんなとき談志師匠が言ったというのが、以下の言葉だ。
「お前に嫉妬とは何かを教えてやる」
と云った。
「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、それを嫉妬と云うんです。(中略)本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし、人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。(中略)だがそんなことでは状況は何も変わらない。よく覚えておけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ。そして、現実を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う」
この言葉は、著者を奮い立たせた。
<勝てる、最低でも五分の戦いができるようになるまで相手を観察し、研究する。そのためには格好つけている暇はない。至近距離まで飛び込んでみよう。(中略)志らくとつるむようになった。>
志らくさんとの友情と競い合い、立川一門の日々の出来事、高田文夫氏ら談志師匠を取り巻く人々との交流などが、青春真っ盛りの若者にいかに影響をもたらし、いかに奮起させ、成長させたかが、くっきりと描き出されていて、実に魅力的だ。
著者がちょうどこんな青春を過ごしていた時期、私は『落語のピン』という番組にはまっていた。
1993年4月からフジテレビ系列で水曜の深夜枠で放送していた、立川一門を中心とした落語家たちによる落語の番組だ。立川談志師匠をはじめとして志の輔さん、談春さん、志らくさんといった直系の弟子のほか、三遊亭小遊三さん、春風亭小朝さん、林家こぶ平さん(現・正蔵)、春風亭昇太さんらが週替わりで登場し、毎週3席、1時間半にわたってさまざまな落語を聞かせてくれた。それまで積極的に落語に触れる機会を持たずにいたが、この番組は落語初心者には衝撃的なものだった。
小朝さん、志の輔さんは別格として、その頃の私のお気に入りは、志らくさんと春風亭昇太さんだった。品よく知的にきっちり聞かせてくれる志らくさん、ぶっとぶような勢いがあって、これも落語なんだと驚かされた昇太さん。正直言って、談志師匠の芸のすごさというのはど素人の私にはよくわからなかったのだが、落語協会分裂騒動以後、独自の道を歩んできた立川流一門と、アンチ立川とまではいかない噺家さんたちの、活気に満ち、張り詰めた、たぎるような熱気はびんびん伝わって来た。まさに真剣勝負の場のような、独特の空気感・・・・。あの番組を見ていて、あの頃の著者の姿が思い浮かぶだけに、この著書に書かれた時代背景をより強く実感することができるような気がして、それも何だか嬉しい。
また、著者は談志師匠の知られざるチャーミングな、人間臭い一面を書き記すととともに、味わい深い言葉の数々も伝えてくれている。
「先へ、先へと何かをつかもうとする人生を歩まない奴もいる。俺はそれを否定しない。芸人としての姿勢を考えれば正しいとは思わんがな。つつがなく生きる、ということに一生を費やすことを間違いだと誰が云えるんだ」
「師匠なんてものは、誉めてやるぐらいしか弟子にしてやれることはないのかもしれん、と思うことがあるんだ」
「立川流はなれ合いは好かん。俺は内容でお前達と接する。俺を抜いた、不要だと感じた奴は師匠と思わんでいい。呼ぶ必要もない。形式は優先しないのです。俺にヨイショする暇があるなら本の一冊でも読め、映画の一本も観ろ。勿論芸の内容に関する疑問、質問ならいつでも、何でも答えてやるがな」
この年になると、苦情はねじ込まれても、自分が成長するための苦言を呈してもらう機会は少ない。先に進むための道しるべは、誰かに照らしてもらうのではなく、自分で見つけなくてはならないのだと実感している昨今。著者と一緒に、談志師匠に叱られ、誉められ、導かれたような気分に浸りながら一気に読み終えた。
因縁の故・五代目柳家小さん師匠と、談志師匠との、最後の機微入り乱れるエピソードも感動的だった。
笑えて、泣けて、考えさせられて・・・。
新春に何を読もうかとお考え中の方には、ぜひこの本をお勧めしたい。
暮れに読んだ『赤めだか』(著・立川談春、扶桑社刊)が素晴らしく面白かったので、ぜひとも紹介しておきたい。
著者は、立川談志師匠の弟子である噺家さん。84年、17歳で高校を中退して立川談志に弟子入りし、88年には二ツ目、97年には真打ち昇進を果たした。昇進試験の厳しさで知られる立川流において、いたって順調に出世街道をひた走って来たかのように見える談春氏だが、あっちにぶつかりこっちにぶつかり・・・の修行時代。
弟子入りの時点からして誤算のスタート。親の反対を押し切って弟子になったものの「俺は内弟子はとらない。何故なら他人が俺の生活にかかわってくるのが嫌だからだ」とケンモホロロの言われ方をされ、住み込みの新聞配達をしながら師匠のもとへ通ったという。
「前座の間はな、どうやったら俺が喜ぶか、それだけを考えてろ。患うほど、気を遣え。お前は俺に惚れて落語家になったんだろう。本気で惚れている相手なら死ぬ気で尽くせ。サシで付き合って相手を喜ばせられないような奴が何百人という客を満足させられるわけがねェだろう」
という師匠に、パニックになるほど大量の用事を言いつけられても、帰ってきた師匠が笑い、弟子たちみんなで笑う一瞬のために目の色を変えて駆けずり回ったという修行時代。金魚に餌の麩をやりすぎて溺れさせそうになったり、庭木に殺虫剤をまいて枯らしてしまったり・・・。弟子たちの必死さが伝わってくる抱腹絶倒のエピソードの数々は、とにかく笑える。中には本当にパニックを起こして去って行った弟子もいたというし、著者自身、気が利かないからと築地の魚河岸に一年も修行に出されたこともあったという。
そんな修行を満期務め上げ、揚々と戻ったら、魚河岸修行を断り、クビも断ったという新弟子・志らくさんに引き合わされた著者。あっという間に頭角を現し、筋がいいと評判が立ち、ものすごいスピードで落語を覚えていったという弟弟子に対する口には出せないめらめらとした嫉妬心・・・。
そんなとき談志師匠が言ったというのが、以下の言葉だ。
「お前に嫉妬とは何かを教えてやる」
と云った。
「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、それを嫉妬と云うんです。(中略)本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし、人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。(中略)だがそんなことでは状況は何も変わらない。よく覚えておけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ。そして、現実を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う」
この言葉は、著者を奮い立たせた。
<勝てる、最低でも五分の戦いができるようになるまで相手を観察し、研究する。そのためには格好つけている暇はない。至近距離まで飛び込んでみよう。(中略)志らくとつるむようになった。>
志らくさんとの友情と競い合い、立川一門の日々の出来事、高田文夫氏ら談志師匠を取り巻く人々との交流などが、青春真っ盛りの若者にいかに影響をもたらし、いかに奮起させ、成長させたかが、くっきりと描き出されていて、実に魅力的だ。
著者がちょうどこんな青春を過ごしていた時期、私は『落語のピン』という番組にはまっていた。
1993年4月からフジテレビ系列で水曜の深夜枠で放送していた、立川一門を中心とした落語家たちによる落語の番組だ。立川談志師匠をはじめとして志の輔さん、談春さん、志らくさんといった直系の弟子のほか、三遊亭小遊三さん、春風亭小朝さん、林家こぶ平さん(現・正蔵)、春風亭昇太さんらが週替わりで登場し、毎週3席、1時間半にわたってさまざまな落語を聞かせてくれた。それまで積極的に落語に触れる機会を持たずにいたが、この番組は落語初心者には衝撃的なものだった。
小朝さん、志の輔さんは別格として、その頃の私のお気に入りは、志らくさんと春風亭昇太さんだった。品よく知的にきっちり聞かせてくれる志らくさん、ぶっとぶような勢いがあって、これも落語なんだと驚かされた昇太さん。正直言って、談志師匠の芸のすごさというのはど素人の私にはよくわからなかったのだが、落語協会分裂騒動以後、独自の道を歩んできた立川流一門と、アンチ立川とまではいかない噺家さんたちの、活気に満ち、張り詰めた、たぎるような熱気はびんびん伝わって来た。まさに真剣勝負の場のような、独特の空気感・・・・。あの番組を見ていて、あの頃の著者の姿が思い浮かぶだけに、この著書に書かれた時代背景をより強く実感することができるような気がして、それも何だか嬉しい。
また、著者は談志師匠の知られざるチャーミングな、人間臭い一面を書き記すととともに、味わい深い言葉の数々も伝えてくれている。
「先へ、先へと何かをつかもうとする人生を歩まない奴もいる。俺はそれを否定しない。芸人としての姿勢を考えれば正しいとは思わんがな。つつがなく生きる、ということに一生を費やすことを間違いだと誰が云えるんだ」
「師匠なんてものは、誉めてやるぐらいしか弟子にしてやれることはないのかもしれん、と思うことがあるんだ」
「立川流はなれ合いは好かん。俺は内容でお前達と接する。俺を抜いた、不要だと感じた奴は師匠と思わんでいい。呼ぶ必要もない。形式は優先しないのです。俺にヨイショする暇があるなら本の一冊でも読め、映画の一本も観ろ。勿論芸の内容に関する疑問、質問ならいつでも、何でも答えてやるがな」
この年になると、苦情はねじ込まれても、自分が成長するための苦言を呈してもらう機会は少ない。先に進むための道しるべは、誰かに照らしてもらうのではなく、自分で見つけなくてはならないのだと実感している昨今。著者と一緒に、談志師匠に叱られ、誉められ、導かれたような気分に浸りながら一気に読み終えた。
因縁の故・五代目柳家小さん師匠と、談志師匠との、最後の機微入り乱れるエピソードも感動的だった。
笑えて、泣けて、考えさせられて・・・。
新春に何を読もうかとお考え中の方には、ぜひこの本をお勧めしたい。


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